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先日祖母が他界しました。
このブログにも何度も登場している祖母。
お正月の干支の飾りは全部祖母が作ってくれたものです。

2012年 辰
2011年 卯
2010年 寅

以下、とても長いです…。
自分の気持ちをまとめるために書いています。
ごめんなさい。

わたしの家族はわたしが小学生の頃に祖父母と暮らし始めて
わたしは学校が終わるとよく隣の祖父母の所へ行っては
夕ご飯ができるまで(全く母の手伝いもせず…)
祖母が見ている時代劇を流しながらおしゃべりをしていました。
祖父母の家に行くと祖父が静かに机に向かって読書したり
音楽を聴いたり、椅子に座っている横で祖母はよくごろ〜んと横になり
テレビを流しながら新聞や本を読んでいたり手芸していたり(笑)
母がいつもびっくりしてたのだけど飾らないのですよねえ!

そうそう、子供の頃、夜中にわたしの家で飼っていたハムスターが
長い廊下を渡って隣の棟の祖父母が寝ている部屋まで脱走して
びっくりさせたこともありました(笑)
クラシックが好きでピアノが上手な祖父は無口で
ほとんどしゃべったことがなかったのですが
祖父が亡くなってからはよく祖父の話もしていて少しさびしそうでした。
でも祖母といえばわたしにとってはとにかく明るくて元気で
お出かけや美味しいものや手芸が大好き!なおばあちゃん。

帰省する度に一緒に雪印パーラーへ行くのがお約束で
わたしはパフェを食べ、祖母は大体必ずスノーロイヤル。
デパ地下でもよく色々と美味しいものをお土産に買って来てくれたり
毎夏買って来てくれるタカノの桃のショートケーキを楽しみにしていました。
札幌に引っ越して来てからは弟とはいだーと焼き肉屋さんへ行ったら
脂の乗ったお肉をもりもりと食べるのでびっくり。

その後、怪我をしてからはグループホームのような所へ入り
そこでもいつも元気そうにお話しては
はいだーのこともいつも気遣ってくれて
必ず車椅子なのにロビーまで送ってくれました。
はいだーとケンカした後に行った時は普通に振る舞っていたのに
祖母に突然「仲良くね。」と言われたり。
巨大なソフトクリームをこっそり持って行った時は
もの凄い勢いで全部食べようとするのでさすがにお腹が心配になったっけ。
亡くなる前に少し元気な時があって、その時はしばらくの間
ベッドで朦朧としていた祖母が元気に冗談を交えながら
おしゃべりが止まらず、病院が閉まる時間になってもずっと話していたの。
話せてよかった。そしてもっと話せばよかった。

札幌のど真ん中で生まれ育った祖母。わたしは祖母から
昔の札幌の様子や色々なお話を聞くのが大好きでした。
馬車が走っていたり、洋装になりパンツを自分で作ったり。
円山の辺で祖父や父と一緒に歩くスキーをしては
止まれないから立ってる人にどいてどいてーと言ったお話。
覚えてないのですが円山動物園や色々な所にも連れて行ってもらったそう。
あと幽霊を見た話もよくしてもらいました(笑)
それから祖母らしいのはかわい残酷系のお話や毒のあるお話!
三越の屋上で飼われていた熊がアイヌの方の熊祭り?のために
殺されてしまうというお話は何度話を逸らそうとしても
何度もするので、きゃー(><;)という感じでした。
それから祖母の人生で色々苦労したお話もいっぱい。

札幌に帰って来てから両親が旅行の時に
祖母の家に1人で泊まりに行ったのですが
今思うと本当に貴重な時間でした。
というか、東京から札幌に来てから
随分時間を過ごせるようになって本当によかった。

祖母のお通夜と告別式は札幌らしい不安定だけど
一番綺麗だと思うお天気。
ざーー!と雨が降ったと思えばキラキラの太陽が現れ
紅葉が輝き、大変美しい日でした。
何年かぶりに親戚が集まり、従兄弟達のかわいい子供達の賑やかな声に囲まれながら
みんなでお話したり、豪華なコース料理を頂いたり、
非日常だけど日常でもあるような時間を慌ただしくもゆっくりと
悲しいけど楽しく過ごせたのは全て祖父母が与えてくれたものなんだなーと
しみじみと思いました。
そして我が家は子供がいなくて両親に申し訳ないなーと思ったり。
これは仕方ないのだけど(汗)
そういえばはいだーが私の家族に流れるどこかフリーダムな感じは
祖母のインフルエンス?と言っていました。

正直わたしは自分の勝手ですが祖母とお別れすることが
嫌で嫌でたまらなかったし、やはり今でも嫌なのだけど
祖父と会って美味しいものいっぱい食べたり遊んだり
ニコニコ楽しくお話しているといいな。

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これはね、円山動物園のギンちゃんなのですが
祖母に似てるのです。(と、私は思っているのです)
双子のキンちゃんと比べるとよくうろうろしていて
くいしんぼさんでかわいいの(*≧m≦)